第2回大会の概要を公開しました。

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開催日は、11月19日(日)
エントリーは、6月22日(木)21:00からです。

見沼代用水について

見沼チャレンジ60は、見沼代用水(みぬまだいようすい)に沿ったコースです。

見沼代用水は、江戸時代の1728年(享保13年)に新田開発のために、武蔵国に造成された灌漑農業用水です。
当時の江戸の人口は1600年頃の約13万人から1700年頃には約100万人まで増え、江戸幕府食糧不足・財政難という問題をかかえていたことから新田開発が必要でした。
そこで、見沼溜井(ためい)の水を使い米作りをしていた田んぼと、見沼溜井を干拓して新たに開発された田んぼで使用する水を供給するために作られたのが、見沼代用水です。

また、見沼通船堀が掘られたことで見沼代用水は舟運にも利用され、江戸へ年貢米や野菜などを運び、江戸から肥料や日用品などを運びました。舟運は昭和6年まで約200年続けられました。

重要な構造物

見沼代用水は、利根川から見沼田んぼまで多くの水路や道路を横断するため、川の下に水路をくぐらせる 伏越(ふせこし) 、川の上に水路を渡す掛渡井(かけとい) 、主要な橋は(石橋・土橋合わせて)90ヵ所も設置されました。とくに元荒川 をくぐらせた伏越、綾瀬川の上を渡した掛渡井は、重要構造物として知られています。
また、60kmにおよぶこれらの水路工事は6ヶ月の短期間で完成したそうです。
大会では現存するこれらの構造物や記念碑を見学しながら走ることができます。

タイトル: 武陽埼玉郡見沼代用水路足立郡上瓦葺村地内懸渡井通船之真景
作成者: 王欽古(おう・きんこ) 1871 – 1905
江戸時代中頃の享保年間に、現在の埼玉県内の新田開発のために開削された見沼代用水路(みぬまだいようすい)のうち、上瓦葺村(かみかわらぶきむら)(現在の上尾市瓦葺の立合橋付近)で綾瀬川と見沼代用水が交差する地点の様子を描いたもの。この交差地点では、流路の水位が保てない、用水路を使った舟運の妨げになるなどの理由により、交差する川の上に木製の水道橋(懸渡井)を架ける工法が用いられた。享保16年(1731)に閘門式運河(こうもんしきうんが)である見沼通船堀(みぬまつうせんぼり)が開通したときには、見沼代用水の東西の分岐点に通船会所(つうせんかいしょ)が設けられ、荷揚げ場となりました。描かれる角柱に「埼玉県」と記されていることから、この絵図は明治4年11月以降に描かれたものと考えられる。
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